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天狗党(一部の人専用)

小四郎伝説・・・

Dsc00721 前回、藤田小四郎について触れたとき、

>小四郎せんせいって
>男前ですね!
>こういう銅像系って、
>みんな美男子に修正されるんですかね?;^_^A

という突っこみをいただいた。でもって、左にあるのが最近、寝る間際にちょくちょく読んでいる本なんだけど、その中にこんな一文がある。

「(小四郎は)一見、田舎書生といった感じをしておりました。中肉中背で風采も特別目立つものでもなく、しいていえば浅黒いやや平べったい顔に濃い眉毛、時折みせる精悍な眼つき、厚めな唇で大きな口が特徴でした」

うーん・・・実際に天狗党の身の回りの世話してた人の証言だからなあ、間違いはないとおもうんだけど・・・

決していい男とはいえない気が・・・

まったく、源義経といい、沖田総司といい・・・

どの辺でねじまがっていくんだ?

まあ、ただでさえ分かりにくい天狗党の乱だからね、こんなところから始めていきますかね・・・

小四郎せんせーい!!

Dsc00652_1  藤田小四郎。藤田幽谷の孫であり、藤田東湖の4男。水戸藩の重鎮・藤田東湖でえ、小四郎の行動力に期待していたという・・・。

元治元年、いわゆる天狗党と呼ばれる人々が常陸国府中(現茨城県石岡市)に滞在の後、筑波山に上がり、攘夷を決行すべく旗揚げした。いわゆる天狗党の乱。最後は鰊(にしん)蔵に押し込められ、寒さと悪臭のなか悲劇の死を遂げたの有名な話であるが、天狗党というと薩摩・長州はいうに及ばず、天誅組や土佐勤王党なんかと比べてもマイナーであるのは藩内の内輪もめに終始してしまったためか。しかしながら、水戸藩自体はどの藩にも先駆けて「尊王攘夷」という思想にいきついた雄藩である。

実はこの天狗党の乱。最近読んだ本によると大きく3期に分けられるらしい。

1期は田丸稲之衛門、藤田小四郎、竹内百太郎等が筑波山にて挙兵した時期。2期は水戸藩内の騒乱を鎮めるべく、幕府より宍戸藩主・松平頼徳が江戸から使わされてくる時期(大発勢)。江戸にいた武田耕雲斎はこのとき初めて藤田小四郎たちに加わる。3期は追い詰められた武田耕雲斎らが一橋慶喜に助けを求めるべく西行する時期。

一般的に天狗党の乱というと武田耕雲斎が率いた叛乱というイメージがあるが実は最後の最後だけで、むしろそうなることは彼の本意ではなかったらしい・・・

幕末という激動の時代に、日本の行く末を思い、不本意ながらも散っていった茨城の志士たち・・・そんな志士たちを少しでも応援できたらなあと思ったりなんかする。

ちなみに写真は筑波山神社にある藤田小四郎の銅像。

というわけで立ち上げてみた「天狗党」カテゴリー。どこまで続くか?「幕末の茨城」とかも作ってみようかね?

しかし、分かりずらいんだよなー・・・天狗党・・・ごちゃごちゃで・・・正直、短文でまとめる自信がない・・・

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